サザエさんの原作者長谷川町子先生って
どんな人?
「アニメサザエさん」は長谷川町子の4コマ漫画「サザエさん」が原作です。
「サザエさん」は昭和21年からスタートし、紙面の変更や休載などを挟みながら、
昭和49年までの約28年間も続きました。
「サザエさん」の原作者・長谷川町子はどんな人だったか、ご紹介しましょう。
長谷川町子誕生
長谷川町子は大正9年1月30日に佐賀県で生まれました。
生後ほどなくして福岡県に移り住み、幼少期を過ごしました。
子どもの頃は、サザエさんも顔負けのおてんば娘だったそうです。
15歳、漫画家デビュー
13歳の時に父が亡くなり、家族とともに東京へ引っ越してきます。
漫画が大好きだった町子は、母のすすめで「のらくろ」などで有名な田河水泡氏に弟子入りをします。
そこで才能を認められ、15歳で漫画家デビューをし、19歳の時には、新聞連載を持つほどの人気作家になります。
しかし戦火が激しくなり、福岡へ疎開することとなり、そこでは西日本新聞社の絵画部で働きだしました。
そして終戦の翌年、昭和21年に福岡の新聞「夕刊フクニチ」から漫画連載を頼まれます。
これが「サザエさん」誕生のきっかけです。
終戦。「姉妹社」設立
そして「サザエさん」出版
その後、再び福岡から上京することになり、「サザエさん」は終了しますが、
「夕刊フクニチ」から「続・サザエさん」を依頼され、再開することとなります。
そして、家族で「姉妹社」を設立し、「サザエさん」を出版しました。
当初はB5サイズの横とじが書店に並べづらいということで、たくさん返品されてしまいましたが、
その後2巻をB6サイズで出版したところ評判となり、大ヒットとなりました。
昭和44年、アニメ放送開始
昭和44年10月5日に「アニメサザエさん」がフジテレビでスタートします。
当時は新聞連載とアニメの両方で「サザエさん」が楽しめたんですよ。
紙面を「夕刊フクニチ」「新夕刊」「夕刊朝日新聞」「朝日新聞朝刊」とうつり、
昭和49年2月に休載のまま連載終了となりました。
4コマ漫画の本数は6500回以上にも及びました。
長谷川町子美術館開館
昭和60年に東京・世田谷区の桜新町に「長谷川美術館」を設立します。
昭和61年には、今も夏の恒例となっている「アニメサザエさん展」の第一回が開催されました。
昭和62年のアニメサザエさん展では、一日に3000人以上ものお客さんが訪れ、驚いた町子はその場を逃げ出したそうです!
国民栄誉賞受賞
平成4年5月に町子は72年の生涯に幕を閉じます。
同じ年の7月に国民栄誉賞を受賞し、11月に「長谷川美術館」から現在の「長谷川町子美術館」に名称を変更し、
町子亡き後も多くの方々に愛される美術館として、運営を続けています。